カムイの穴で叱られた〜タンネウシ4月号〜

「カムイの穴で叱られた」

山中正実

アイヌ民族の穴グマ狩り

忘れもしない1979年4月12日。私たちは支笏湖の西、美笛(びふえ)の山々を歩いていました。冬眠穴の中のヒグマを狩る「穴グマ猟」をやる千歳アイヌのEさんに同行していたのです。銃器がない時代、この猟法は強力な力を持つヒグマを獲るすぐれた知恵であり、世界の北方民族に共通の手法でした。まだ二十歳そこそこの学生だった我々は、猟に同行して冬眠穴の構造や立地条件を調査するとともに、消え去りつつあったこの伝統猟法を記録しようとしていました。

闇に響く声

冬眠穴を捜すのはアイヌ犬。この日も雪の斜面から上がってくるかすかな匂いに犬が気付きました。足跡をたどると冬眠穴がポッカリ口を開けていました。足跡は新旧縦横無尽についており、最新の足跡が穴の中に入ったものか、出ているのか、経験豊富なEさんにも判断できかねる状態でした。しばし様子をうかがい、気配がないので、私は穴を計測するために中に入ることになりました。

腹ばいになって狭く暗い穴へはいずりこみます。ヘッドランプの光の輪が一番奥の壁を照らし「ああ、ここで行き止まりか」と思った瞬間、右手からフゴッ、フゴッと咳き込むような声。とっさに右を見るとランプの光の中にいきなり大きな鼻面が。外にいた人の話では、驚くべき早さで私は穴からはい出し「クマがいます」と叫んだそうです。

三日がかりの大捕物

ちょっかいをだされると、すぐに穴から出てくるのが普通ですが、このクマは出ません。丸太を切ってきて穴口をふさぎ、急には飛び出せないようにして、穴の正面に回ったEさんたち。昔ならここでトリカブトの毒を塗った矢を放つところです。今はもちろん銃を使いますが、このクマは右に曲がった穴の奧にいるので、撃っても当たりません。火がついたシラカバの皮を木の枝の先に付けて差し込み、いぶり出そうともしましたが、ものすごい早さで叩き消してしまいます。結局、その日は何をやってもダメ。翌朝行くと、驚いたことに伝統技法の柵はクマをしっかり閉じ込めていました。けれど、この日のあの手この手の作戦もすべて徒労に終わりました。3日目の朝、クマは柵を横に押しのけて出て行っていました。根比べはクマの勝ちとなったのです。

無断侵入してキムンカムイに叱られた私は、その後も支笏湖でも知床でもたくさんの冬眠穴を調べましたが、穴に最初に入るのを躊躇するようになったのは言うまでもありません。

 

タンネウシ4月号表面
タンネウシ4月号裏面

平河内毅

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