オホーツク人の火起こし〜タンネウシコラム12月号
平河内 毅
古代の着火方法
12月に入り一段と寒さが増し、各家庭ではストーブやコタツが大活躍中のことと思います。現代ではスイッチひとつで点火でき、灯油やガスのおかげで火を絶やすことなく生活できます。しかし、大昔ではそう簡単にはいきません。縄文時代には木材の回転摩擦を利用した着火法が用いられ、奈良・平安時代頃になると鋼鉄と火打石をぶつけて着火する方法も登場しました。今回のお話は、チャシコツ岬上遺跡に暮らしたオホーツク人たちがこの火打石による着火方法で火起こしをしていたのではないか、という内容です。
鋼鉄と火打石
チャシコツ岬上遺跡ではメノウという半透明の石が多く見つかりました。メノウは現在でも火打石として用いられ、火打金(鋼鉄)とセットで通販サイトでも販売されています。確かに、市販の鋼鉄とメノウを勢いよくぶつけてみると、いとも簡単に火花を散らすことができます。しかし、簡単に火花が出せるし、遺跡からメノウもよく見つかるから、「これは古代の火打ち石です」とは言えません。そこで、遺跡から見つかったメノウに何か特別な痕跡が残されていないか探してみることにしました。
メノウとナイフ
チャシコツ岬上遺跡から出土したメノウは3 cm程のものがほとんどで、丸いものから角張ったものまで色々あります。一つ一つ丹念に見てゆくと、そのうちの一つに7 cmを超える大きさで、表面に黒い筋が残るものがありました(写真)。そのメノウの表面をよく観察してみると、黒い部分は鉄が付着した場所であることに気がつきました。おそらく、鉄製のナイフとメノウが一緒に置かれていた際に、膨らんだサビが付着したものと考えられます。調べてみると、メノウが出土した地点のすぐ側で鉄の出土が記録されています。さらに、これらが見つかった場所は、周囲の土が赤く焼けているエリアでした。
こうした火起こしに関する間接証拠が他の遺跡にもあるのかを調べたいところですが、メノウは注目されてこなかったため、難しい状況です。ただ、チャシコツ岬上遺跡で見つかった墓から、鉄製品とメノウが出土していることを考えると、死後の世界を照らす道具として、親族が被葬者に持たせた意味合いを想像したくなるのは私だけではないはずです。
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横山
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