オホーツク海の形成と道東の地質〜タンネウシ12月号

合地 信生

オホーツク海とその周辺地域の海底地形

 私達が住んでいるオホーツク海は流氷だけではなく、その形成に関係したいろいろな地質現象が陸上にも見受けられます。オホーツク海は南北2つの地形に分かれ、北半分が浅大陸の岩石、南半分(千島海盆)が深く海洋底の岩石でできています。また 、カムチャツカ側が狭く、北海道側が広く扇を開いた形をしており、千島海盆に拡大の軸があったようです。
 2,000 万年前から 1,500 万年前にかけて地球のプレート運動や拡大の軸でのマグマ活動が活発になり、本州や北海道が大陸から離れ、日本海やオホーツク海などの沿海(大陸と島との間の海)ができました。当時の道東はサハリン中央部の東にあったようです。2,000 万 年以降のオホーツク海拡大に伴う地質現象は次のA、B 、C( 場所は図を参照 )の3 種類が観察されます 。

A)拡大軸のマグマ活動(浜頓別~枝幸の砂金 )
 オホーツク海の拡大軸を西に伸ばすと浜頓別の付近になります。ここにある1億年以上も古い岩石が広い範囲に渡り熱水で変質していることが最近分かりました。日本海拡大の熱水で生まれた佐渡の金山同様、この熱水で東洋のクロンダイクと呼ばれた金鉱床ができました。

B)南北の断層(紋別ー上士幌構造帯)
 千島海盆はその地形からほぼ南北に移動して拡大したと考えられています。南北に拡大すると、拡大スピードの差により南北方向の断層が生まれます。紋別のコムケ湖から南の地域では 断層と関連した低地が広がり、火山活動も活発でした 。この火山活動は白 滝 、置戸 、十勝三股の黒曜石産地と隣接しています。

C)南北の断層(網走構造線と常呂帯)
 能取岬から東藻琴にかけても南北の火山活動があり、現在では天都山の丘陵地を作っています。その西側には能取湖、網走湖、網走川と南北方向に低地が連なり「網走構造線」と呼ばれています。網走構造線の西には7,000万年前に海底であった常呂帯の緑色岩がやはり南北に分布しています。オホーツク海拡大前はサハリンの近くにあり、南下してきたようですが詳しいことは分かっていません。

道東の地形や地質はオホーツク海の形成と大きく関連しているようです。母なる海ですね。

タンネウシ12月号表面


タンネウシ12月号裏面

 

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