先人と先輩の足跡〜タンネウシ 10月号
村田 良介
特別展示
先月下旬から3年ぶりの特別展「斜里平野の魅力」が始まっています。既にご覧いただいたでしょうか。
斜里平野はさまざまな角度からアプローチされてきました。博物館としても地質や地形、遺跡や歴史、砂丘や自然環境、アイヌ語地名や産業発達といった視点からの調査や研究成果を郷土学習シリーズや特別展図録などに発表して記録に残してきました。
今回は、斜里平野の景観が人と自然の関りによって形成されてきたという視点で構成していますので、これまでの資料や記録の「再構成」といえるかもしれません。
先人たち
斜里平野の人と自然の関りを探ることは、この地の人の歴史を紐解くことです。人の歴史は自然との関りの中で生まれてきたといっても過言ではありません。具体的には、先史時代からアイヌの人たちの生活のように狩猟や漁労をしながら神との精神的なつながりの中で生きてきたことや、明治時代以降の農業や漁業や商業を営みながら自然と関わり合って土地を拓いてきたことなどがあげられます。
その過程には明治10年に朱円に入地した鈴木養太や、その後に以久科に入殖して農場を開いた石川芳次など、多くの人たちの筆舌に尽くしがたい苦難がありました。さらに多くの団体や農場による組織的な開墾によって斜里平野が拓かれていったのです。
先輩たち
斜里平野の景観の基本的な形成者が先人と呼ばれる明治から大正にかけての入殖者だとすれば、次の主役は、 昭和 20 年代以降にこれらの先人の足跡を丁寧に調べて記録に残した先輩達です。敢えて名前をあげれば栗沢喜重郎、その後の日置順正、金喜多一、 小泉昇、高桑華夷治など。
知床博物館の前身であるしれとこ資料館時代からこれらの人達の成果は郷土史研究会報や博物館の研究報告、さらに普及書である郷土学習シリーズや特別展図録に残されています。
特に、個別の聞き取り調査にもとづ く稲作や澱粉工場の分布や操業時期の調査は圧巻です。そして、これらの人たちの活動を支えてきた資料館や博物館の存在と担当した先輩職員の役割も忘れるわけにはいきません。
繋ぐこと
先人や先輩の背中を追いながらの昨年からの特別展準備でしたが、走っても、走っても追いつくどころか、ますますその差が開くばかりでした。今回の特別展で取り上げた内容の多くはこれらの「焼き直し」です。
わずかに責を果たせたかと思うのは、過去の成果や記録をビジュアル化し一部は電子データ化できたことによって将来の活用がさらに広がるだろう、という言い訳です。
( 文中は敬称略 )
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