姉妹町の旅とガラス瓶〜タンネウシ6月号2024

三枝 大悟

真夜中の驚愕
 3月9日の深夜、南国・西表島のホテル 。洗面所でガラス瓶を洗っていた私は、アッと声を上げました。 渋い茶色だった2本の瓶は、詰まった泥が流れ出るにつれ、みるみる無色透明へと変わっていったのです。「西表島炭鉱のビール瓶」と書いたラベルが、ポトリと床に落ちました。

行ってきました、姉妹町
 昨年、斜里町は沖縄県竹富町との姉妹町盟約50周年を迎えました。知床博物館では姉妹町との交流の推進と学術情報の収集のため、2人の学芸員を竹富町に派遣しました。私が自分に課したミッションは、3,000km離れた斜里と竹富の似ている点を探し、その資料を持ち帰ること。テーマの一つが、西表島の炭坑でした。

世界自然遺産の中の歴史のカケラ
 西表島の炭鉱は明治時代から採掘が行われ、1950年代まで操業を続けました。一方、斜里では知床硫黄山で、やはり明治時代から本格的な硫黄の採掘が行われ、1940年頃まで操業しました 。どちらも現在の世界自然遺産の中に位置し、日本の近代化を支えた産業遺産といえます。
そして、利益の追求が労働者の搾取につながったことも共通しています。 西表島の炭鉱の資料を集めることで、斜里町民にその情景を伝え、知床硫黄山の資料と並べることができるようになると期待しました。

西表島炭鉱で見つけたモノ
 竹富町史編集委員で炭鉱の歴史に詳しい池田克史さんの案内のもと、私たちは現地を 訪ねました 。ポカリと空いた坑口や、錆びたトロッコのレール。さらには労働者が汗を流した水浴び場や、散らばる生活用具。 廃坑となって長い年月を経たにも関わず、大自然に抗う過酷な現場であるとともに、暮らしの場であったことが、まざまざと感じられました。 本来、現地で保存されるべきそれらの中から、特別に、石炭、陶磁器 片、レンガ片、そしてガラス瓶を持ち帰らせていただきました。労働者が渇きを癒やした命の水…と信じてビール瓶(仮)を磨いた結果が、冒頭の衝撃です。瓶に刻まれた文字を改めて読み、社史を調べたところ、「大日本麦酒株式会社」と書かれた1本はサイダー、「ANCHOR BRAND」と書かれたもう1 本はソースの瓶である可能性が高いことがわかりました。
知床博物館は、知床硫黄山で見つかったビール瓶(サイダー瓶と同じ大日本麦酒製!)を所蔵しています。南北2つの鉱山の酒瓶を並べるという私の企みは、儚く崩れ去りました。 しかし、厳しい労働の日々の中にも、サイダーの炭酸を楽しみ、ソースで味つけした料理に舌鼓を打つ、そんな瞬間があった可能性を、新たに見出すことができました。

集めてきた資料とこれから
 今回収集したモノは炭鉱関係の他にもあり、知床博物館の資料として登録済みです。交流展示室のストーリーの枠に収まらないモノが多く、常設展示はしていませんが、講座や企画展などを通じて、斜里と竹富の「似ている」を発信していければと考えて います。さらに 、今年度は友好都市・弘前へも調査を予定しています。斜里と姉妹町・友好都市の繋がりを探す旅は、まだまだ続きます。

タンネウシ6月号表面 タンネウシ6月号裏面

 

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