ヒメミクリの生える風景〜タンネウシコラム4月号

ヒメミクリの生える風景

内田暁友

ヒメミクリ果期の腊葉標本、雄花はすでに落花している(1963年9月15日、斜里町湿原)

歌の題は 都 葛 三稜草 駒 霰
—清少納言

ミクリとの出会い
ミクリという水草をご存知でしょうか。池や沼に生育するガマ科(旧ミクリ科)の多年草で、国内に11種、道内には9種が分布しています。知床、斜里で観察しやすいのは知床五湖のタマミクリやホソバウキミクリ、斜里の市街地でも一号排水路でエゾミクリを見ることができます。
名前は果実が栗のイガのように見えることから実栗、また三稜草とも書かれますが、これは葉の断面が三角形であることによるのでしょう。
この植物との出会いは高校生か大学初年のころに読んだ、わかつきめぐみの漫画『ご近所の博物誌』でした。主人公の少年、三稜(みくり)が自分の村に植物調査に来た博物学者、二羽(にう)の助手として働くうちに自然誌研究の楽しさに目覚めていくという物語です。少年の名は植物から採ったと著者の解説があり、1993(平成5)年の刊行当時には珍しかった題材と、そして美しい野草の線画でも強く印象に残った作品です。
実際に生きたミクリを見たのは大学で研究室に配属されてからです。指導教官の野外調査に同行して苫小牧に行ったとき、現地を案内してくれた方が「これがヒメミクリだ、珍しいんだよ」と貴重な生育地を見せてくれたのが最初でした。象形文字や七支刀のような珍奇な姿、乳白色にかがやく雌しべが球形に集まった花に「こんなに美しい植物だったのか」と驚いたことを思い出します。

斜里の原風景とヒメミクリ
残念なことに全国的な湿地の減少によってミクリの仲間も個体数を減らしているものが多く、知床や斜里で見られる種も多くは国内で絶滅のおそれがある種とされています。なかでも稀少なのは、高山の限られた場所でしかみられないチシマミクリ、そして低地のヒメミクリです。斜里のヒメミクリは1963(昭和38)年に斜里町湿原で採集したと書かれている標本が知床博物館に1点のみ収蔵されています。しかしその後は情報が一切なく、この地域からはすでに絶滅した可能性が高い種と考えられます。
斜里町湿原がどこなのか、それさえ今となってはわかりません。しかし当時、斜里川右岸から以久科原生花園にかけては斜里川の旧河道や砂丘の後背湿地が点在していたことが航空写真や地図から読みとれます。
昭和の斜里のどこかに、ヒメミクリが生育するような道内屈指の素晴らしい湿地環境があった。そのことを標本は雄弁に語ります。その声に耳を傾け、その風景に想像を巡らすたびに私の胸は高鳴るのです。

タンネウシ4月号表面
タンネウシ4月号裏面

三浦

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