斜里町の竪穴式住居群 その数日本のトップクラス! 〜タンネウシ4月号

村田 良介

宇津内遺跡の竪穴式住居跡 住宅跡の窪地に積雪

竪穴住居から窪みへ
「北海道の竪穴群の概要」より

竪穴(たてあな)住居とは
竪穴住居は地面を円形や方形に堀くぼめて、平らな土間の床をつくり、そこへ屋根をかけた半地下式の住居で、内部には炉(囲炉裏)やかまどを設けるのが一般的 です。砂丘上に住居を作る場所は周囲に湿地が広がり近くを川が流れる場所を選んでいます。

家の跡がなぜ残る
竪穴住居は、放棄した後は屋根の部分がつぶれて周りの土砂と 一緒に窪みの中に積りますが、 窪みが残ったままだと地表面からわかります(図「竪穴住居から窪みへ」)。北海道全体に分布していますが火山の降灰が少なく寒さで土壌の発達が遅い道東や道北地方で数多く見ることができるのです。

日本有数の竪穴住居跡群
斜里町の大栄から峰浜にかけての海岸砂丘には 700 以上の窪 み(住居跡)が測量や目視調査などによって確認されています。さらに、この海岸砂丘の既に発掘調査された遺跡からも 150 軒余りの住居跡が発見されているのです。これらを合わせると 850 軒を超え、測量されていない未確認のものを含めるとさらに増えることは間違いありません。ただ、これらは同じ時期にあったのではなく縄文時代から続縄文時代、擦文時代やオホーツク文化時代に造られたものです。

市街地に近い大遺跡
美咲から大栄にかけての旧ウエンベツ川沿いの宇津内(うつない)遺跡では砂丘上に 375 軒が確認されています。さらに斜里川に近いリサイクルセンター付近の 砂丘には既に発掘されたピラガ丘遺跡群があり75 軒が発掘されました。以久科から峰浜にかけての海岸砂丘上にも多くの窪みが残っていますが、特に奥蘂別川右岸には道指定の朱円住居跡群(朱円千穴)があり、知床博物館が 1990 年代に測量した集中地点だけでも 204 軒が確認され、未測量区域にはさらに数十から百の窪みがあります。

知床岬にも住居跡が
峰浜から半島先端にかけての半島部にも河口付近を中心に、発掘されたウトロ遺跡(32 軒)や国指定のチャシコツ岬上遺跡(31軒)、さらに知床岬遺跡(83 軒)などがあります。これらの大規模な遺跡を含めて半島部全体で 200 軒以上が確認されており、斜里平野の砂丘上と合わせると総数は 1,200 を優に超えるのです。

地域の資源
斜里の海岸砂丘上に集中する 竪穴住居跡の数は、国指定を受けている常呂遺跡の約 2,700 軒や標 津遺跡群の約 2,500 軒には及びませんが、日本有数の規模であることは間違いありません。この竪穴住居跡群は将来に向けて計画的な測量や発掘調査によって「地域資源」として教育や観光的価値を高める必要があります。国指定や世界文化遺産も決して夢ではありません!


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