斜里の竪穴式住居跡調査〜タンネウシ2月号2025
勝田 一気
斜里の竪穴住居跡群
道東には、縄文文化期から擦文文化期の間に使われた竪穴住居が、今もなお「窪み」として数多く残っています。斜里も例外ではありません。
海岸線の小高い砂丘上には多くの竪穴住居跡が残っており、過去には発堀調査を行いました。しかし、その全容が判明しているのは一部であり、竪穴住居跡があるのは分かっているが、分布範囲や数など詳しいことが分かっていない場所が多くあります。 知床博物館では、砂丘上の竪穴住居跡を把握するために調査を行いました。今回は、調査方法や出来事を少しだけご紹介します。
調査の方法
調査は、「踏査」と言って森の中を歩いて竪穴住居跡を見つける方法で行いました。砂丘上と言っても、木や草が生い茂っているため歩くのが大変です。迷わないように、また、竪穴住居跡の位置を記録するために、スマートフォンに地図アプリをあらかじめ入れておきます。二人以上で森の中に入り、それぞれがトランシーバーで連絡を取り合いながら、竪穴住居跡を探します。発見したら、一人で数と位置の把握を行いますが、大抵の場合は竪穴住居跡が多数に広がっているため、他の調査員を呼び寄せてから、竪穴住居跡を数え、立地や特徴などの情報を共有します。
笹の洗礼
調査は、雪によって寝ていた笹が起き上がる前の春に始めます。しかし、調査範囲が広いため数ヶ月に分けて行います。調査を始めた時期には、笹を気にすることなく歩くことができても、調査がすすむにつれて膝から腰へ、腰から胸の高さまで起き上がっています。場所によっては、顔を出すのもやっとの所もありました。そこまで起き上がってしまうと、笹を手でかき分けながら進む「藪漕ぎ 」という表現が適切です 。身長が高くない私の感覚では「 藪漕ぎ 」より、藪の中を「泳いでいる」と言った方がふさわしいかもしれません。また、笹は固く、反発をするので笹を踏みつけて寝かしながら進むと体が浮き上がる感覚になります。
竪穴住居跡を見つけた時の感動
笹の洗礼を浴びながら行なっている竪穴住居跡の調査ですが、見つけた時は、やはり感動を覚えます。過去に人の営みが確実にあったことを感じさせる「窪み」が十数軒密集して広がっている景色は、気持ちが高ぶります。時には、1つの直径が目測で10m以上の窪みもあり、その中に入ってみるとなぜか少しだけ気持ちがやすらぎます。
近年では、湧別町や北見市、標津町など竪穴住居跡群の存在を広く周知して利活用へと繋げている市町村も多いですが、斜里にも朱円竪穴住居跡群や美咲地区の宇津内遺跡など他の市町村に負けないくらいのたくさんの「 窪み 」が残っています 。多くの人にこの 、存在や魅力を知っていただけるように、調査の結果をご報告する予定です。それまでもう少しお待ちください。
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