2026年は午年!斜里の石碑 馬頭観音のお話 〜タンネウシ1月号2026

三枝 大悟

馬頭観音とは
 地域の集会所や畑の片隅に、「馬頭観世音」と刻まれた石があるのを見たことはありませんか?これは、死んだ馬の供養や、家畜の安全を祈るために建立された石碑です。馬頭観世音は、馬の頭の飾りがついた冠をかぶった仏様です。その姿から馬など家畜の守り神とされ、「馬頭観音」、「馬頭さん」などの呼び名で広く信仰されています。今回は斜里の馬頭観音をご紹介します。

建立された数と時期
 斜里の馬頭観音を調べたところ、現存するもので18基、失われたもので5基以上あることが確認できました。うち15基は石に文字だけが刻まれていますが、ウトロ高原・朱円西・本町には、計4基、石の仏象があります。以久科北には「相馬神社」と刻まれた碑がありますが、地元では「馬頭さん」と呼ばれています。これは福島の相馬三妙見社のことで、馬の守護神とされることから、馬頭観音とよく同一視されます。
 建立時期がわかるのは15基で、最も古いのは、越川で1922(大正11)年に建立された「南の馬頭観音」と呼ばれる碑でした。その後は大正期3基、昭和戦前・戦中期9基、戦後は1955(昭和30)年頃の2基と続きます。かって馬は、農作業や山仕事、移動や輸送の足として欠かせない存在でした。昭和30年代後半以降、自動車やトラクターがその役割を担うようになったことが、建立数の減少につながったのだと思います。

今も続く信仰
 馬頭観音は個人から信仰される他、地域の人々の手でお祭りが執り行われます。お祭りの日は地域によって様々で、来運で初午(2月の最初の午の日)に馬と一緒にお参りしたことや、三井で8月15日に相撲を行なったと思われる記録があります。
 現在のお祭りの様子を見てみると、神社祭や社日祭(土地の神様に祈りを捧げるお祭り)とあわせて拝むことが多く、馬頭観音だけのお祭りは数少ないです。その中で富士の馬頭観音は、地域の環境整備事業の一環で6月に草刈りと参拝が行われており、単独のお祭りとして貴重な事例となっています。
 また、斜里町和牛組合によって4月に川上で執り行われる馬頭祭と、7月に三井八幡神社の例大祭で執り行われる馬頭観音の神事では、「牛馬頭観世音」と記されたのぼりが掲げられます。どちらも畜産を営む地区で、暮らしを支える牛への加護も求めたいという想いを感じました。

「人の暮らし」を伝える証」
 本町の宝光寺には「川上基線組合」と刻まれた馬頭観音像があります。これは川上にあった農業団体で、昭和30から40年代にかけて、周辺にホクレン製糖工場やでんぷん工場が建設されたことに伴い、全戸離農・消滅しました。祀る場所がなくなり、宝光寺に移されたものと思われます。また、世界自然遺産の幌別と岩尾別には、かっての集落の中心地に馬頭観音の碑が今も残されています。どちらも「その地に人の暮らしがあった」確かな証です。
 今を生きる私たちにとって、馬は身近な存在とは言い難い時代になりましたしかし、想いを込めて刻まれ、何十年も前から変わらず凛と建ち続ける馬頭観音は、静かに地域の歴史を伝えてくれています。

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