友好都市弘前調査報告〜タンネウシ4月号2025
勝田 一気
弘前調査
昨年の11月6日~12日に、歴史・民俗担当の三枝と考古担当の勝田が友好都市弘前に調査に行きました。弘前市にはどんな歴史や文化あるのか再発見する機会になりました。今回は、学芸員2人が見て、聞いて、体験した弘前をご紹介します。
弘前と斜里
1807年に北方警備を目的に津軽藩が、藩士約100人を派遣しました。しかし、寒さと栄養失調などが理由で70人あまりが死亡してしまいました。この事実は、100年以上の間、公になることはありませんでしたが1950年代に殉難事件が明らかになりました。その後、1973年に津軽藩士殉難事件の慰霊碑が斜里に建立され、その10年後に弘前と斜里が友好都市の盟約を結びました。これを契機に、現在までにねぷたの運行や町民号、市民号の行き来など交流が続けられて来ました。
お城とさくらとりんご
弘前には「お城とさくらとりんご」というまちを代表するキャッチフレー ズがあります。現地に行ってみるまさにキャッチフレーズどおりであることがよくわかります。「お城」は弘前藩主の居城である弘前城を指し、お城がまちの中心として整備されいます。地名では、鍛治職人がいた「鍛冶町」や川の土手があった「土手町」など現在でも城下町の頃の特徴が残っています。「さくら」は、弘前公園内に約2600本の桜が植えられており、「桜守」という樹木医(木のお医者さん)がいて、弘前が桜を大切にしている気持ちがよく伝わります。「りんご」は、青森県の特産品であり、市街地から少しだけ外れ、郊外に行くと真っ赤に色づいたりんご畑を見ることができます。弘前市の職員さんに畑を見ながら「 柵や囲いがないと簡単にりんごが盗まれてしまうのではないですか。」と伺うと「わざわざ人の畑から勝手に取らなくても、知り合いからたくさんもらえますよ 。」という返事があり 、本当にりんごが身近な環境だとわかりました。
世界文化遺産大森勝山遺跡
2021年に「北海道・北東北の縄文遺跡群」が世界文化遺産に登録され、大森勝山遺跡が17の構成資産のひとつに選定されました。大森勝山遺跡は、岩木山の麓にある縄文時代の終わり頃の遺跡で、丸く石を配置した「ストーンサークル」が特徴的です。この特徴を視覚的に理解できるように、実際と同じ石材で同じ配置を再現しており、整備にかけた熱意が伝わります。その他にも、大型竪穴建物跡に簡単な舗装を施し、 遺跡に影響を与えない方法で整備されていました。また、夏には、ボランティア に よる解説が行われているなど、大森勝山遺跡では、世界遺産として、多くの人に見て、知ってもらうための整備と活用が行われていました。
交流記念館展示室に反映しました
姉妹町友好都市交流記念館が建ってから31年経ち、展示は開館からほとんど変わっていませんでした。しかし、今回の弘前調査の結果を展示パネルに反映し、一部更新しました。 今までとはひとあじ違う新鮮な展示を是非ご覧ください。
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