旧役場庁舎の保存と活用〜タンネウシ9月号
阿部 公男
斜里町旧役場庁舎は、昭和4年 (1929年)に新築されたハーフティンバー風意匠を持つ建造物です。
昭和10年 (1935 年 ) に発生した大火後に復興した商店街の写真を見ると、縦型の窓、梁や柱などの構造体を外壁にあらわしたようなハーフティンバー風の建物が並んでいて、当時のトレンドだったことが窺えます。
旧役場庁舎の希少性
この旧役場庁舎の希少性や価値の面では、築 94 年を経た木造役場の典型例であることや町民にとってのランドマークとして長年にわたり人の交流が行われ、多くの町民に親しまれてきた昭和の原風景であることなど多岐にわたっています。
平成26年(2014年)に行った専門家による調査では、現存する歴史的建造物の少ない道東において、建造物としての歴史的価値と地域の変遷や生活などの歴史を伝えるシンボル的価値も高く貴重であるとされています。
現在、道内では、このような建物はほとんど見ることはなく、現存する旧斜里町役場庁舎は希少な建造物であることがわかります。
使用の変遷
ここが現存している理由には、町民の交流の場として利用され、営繕されてきたことがあると考えています。建築から昭和43年(1968年)までは役場庁舎として利用され、その間に望楼などの増築や付属棟の建築等が行われました。昭和45年(1970年)からは、図書館としれとこ資料館としての利用が始まり、この図書館等への移行に合わせ、床や壁、天井などが大きく改修され、それにより創建時の内部の様子は殆ど知ることができない状態になっています。
創建時の姿で保存するとなれば、復原を行う必要がありますが、当時の様子を確認できる写真や記録のほか、使用状況を知る人の記憶を積み重ねる必要もあります。
しかし、現在の町民の間では図書館として利用されていた期間の記憶が多く、役場としての認識は少ないことから、必ずしも創建時の姿を再現することが望まれているのか疑問が残ります。
立地と眺望立地
現在、庁舎西側の屋根上には太平洋戦争の頃に設置された望楼があり、 ここからは、知床半島から能取岬に至る海岸線と内陸に広がる斜里平野や湖沼、湿地帯が一望できます。
ここからの眺めには、縄文時代以前からの生活の痕跡や開拓期に砂丘沿いに作られた山道や運搬路の形跡が残り、斜里の発展の変遷が感じられる場所となっていて、斜里の郷土を考える面でも非常に貴重な場所と思われます。
試行事業から
3 年前から試行的活用として「葦の芸術原野祭」が行われ、思い出をもとにその当時のトレンドや街並みなどを聞き取る取り組みがされています。その中では、日々行われていた人的交流や学び、非日常との出会いなどが、有意義で刺激的、かつ、新鮮な時間を感じさせ、好奇心や探求心を満たしてくれた場所として記憶されているようです。
歴史的建造物としての価値だけではなく、人々の幸福感を満たす要素となる活用がポイントと思われ、活用しながら保存するという考え方を検討する必要があるようです。
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