蓄音器の修復と保存活用〜タンネウシ8月号2024

阿部 公男
蓄音器の由来
 知床博物館には、70年から100 年ほど前に作られた数台の蓄音器が収蔵されています。本年、収蔵展示室の片隅で壊れたままひっそりと保管されていた1台の蓄音器の修復を行いました。
 これぞ蓄音器と思わせるラッパの付いたニッポノホン35号は、明治43年に日本初の量産型蓄音器として発表された4 機種の内の1機種で、当館のものは木製のラッパを採用して高級化が図られた後期型と言われています。
 この蓄音器が寄贈されたのは、昭和45年で、大正12年に創業した尾張屋時計店の長谷川悦治さんから頂いたものです。創業から昭和40年頃まで演奏会の開催や店の宣伝、町民のラジオ体操などに使用されていて、斜里の文化の殿堂などと称された劇場有楽座での演奏会の写真からは賑やかさと斜里の文化振興に与えていた影響の大きさが窺えます。

発明と名称
 蓄音器は、1877年にトーマス・エジソンが錫(すず)を貼り付けた筒状の媒体に音の正体である振動を刻み録音し、刻まれた音溝から音を再生させたことで発明されました。私たちが知っている蓄音器は、レコードを再生する機械であり、蓄音(音をためる)機能は備わっていませんが、音を「記録する」ための発明だったため蓄音器と呼ばれています。
 また、日本では、蓄音機と蓄音器の2種類の名称が使われていて、古いカタログなどでは「器」が使われていますが、当時は、音楽を奏でるものとして「機械」ではなく「楽器」だとの拘りがあったからなどとも言われていますがはっきりはしていません。

修復と演奏会
 今回の修復事業は、この蓄音器が、100 年ほど前の斜里の文化や学術目的でどのように活用されていたのかを知ることを目的として行われました。そのため、当時製作されたゼンマイや不純物の少ない雲母を使った振動板など、現在は手に入らない貴重な部品を探し出して組み上げてもらいました。
 さらに、当時の音や雰囲気を蘇らせるため、プロのチェロやバイオリン奏者からも響きがいいと高く評価されている築95年の旧役場庁舎を使った演奏会の開催を検討しています。

歴史的資料の活用と保存
 今回の修復により、蓄音器の構造や使用感、初めて見た人々の驚きや興奮などを感じることができました。 このように古い器具や旧役場庁舎を維持し活用することは、歴史的資料の現用価値や修復と維持について考える良い契機ともなりました。
 蓄音器演奏会が行われる際は、是非100 年前の驚きを味わいにご参集ください。

タンネウシ8月号表面(タンネウシの画像または薄グレーのバーにリンクが設定されています)

 

タンネウシ8月号裏面(タンネウシの画像または薄グレーのバーにリンクが設定されています)

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