竹富町との交流50周年!

村田 良介

遠くて近い竹富町
 竹富町は斜里町から約 3,000 km離れていますが日本列島の両端の国立公園というつながりによって昭和48 (1973)年1月10日に東京で姉妹町盟約を結びました。
  盟約は藤谷豊町長 ( 当時 ) の並々ならぬ決意のもとで環境省レンジャーを介して進められたのです。

 漁業交流と農業交流
  盟約締結直後には定置網による漁業支援が行われました。昭和49(1974) 年1月には大型船で豊慶丸(10t)を曳航したのですが千葉県沖で沈没するというアクシデントもありました。昭和50(1975)年にも北斗水産第11和丸 (14t) を運び、翌年も現地指導に14名が波照間島に行っています。
昭和50(1975) 年と翌年に斜里町から竹富町にサトウキビ刈りなどの援農に行っています。51年には竹富町からの要請で若手農業者20数名が竹富町を訪れました。

青少年交流
 盟約締結の年の8月に青年会議所による中学生6名の使節団が竹富町を訪れ、翌年7月には竹富町の中学生が来町して自然や歴史を学んでいます。その後も定期的な児童・生徒交流が続いています。

 知床博物館に交流記念館併設
  平成5(1993)年の盟約20周年には知床博物館に併設して姉妹町友好都市交流記念館が建設されました。これに先立って学芸員による資料収集調査が行われ、その後も機織りや踊り講座を開催しました。
平成6(1994)年に斜里の「 竹富ファンクラブ」が竹富町職員と一緒に「マンタピア94」のハーリー競漕に出て親睦を深めています。

文化芸術交流
 盟約25周年の平成10(1998) 年には弘前市を交えた「笛の共演」や「種子取祭」公演などがゆめホール知床で行われ、平成11(1999) 年と同13(2001) 年には「YOSAKOIソーラン」の「しれとこ3粉吹雪」チームが招聘されています。平成 17(2005) 年には「知床美ら三線クラブ」が結成されました。平成20(2008) 年には、全国竹富島文化協会と弘前市の「 七夕 (たなばた) 会 」と 斜里町の「ヤーヤー・ドーする会」が竹富島で弘前ねぷた運行するという「南北芸能交流」が竹富島で実現し、35 周年と40周年には「来運の水」を使って八重泉酒造で泡盛を製造する事業が行われました。

さまざまな交流
 平成 10(1998) 年からは、町職員を各1カ月間相互に派遣する研修が4年にわたって続けられ、学芸員交流も断片的に続いています。節目の年の「町民号」が定着し、毎年の夏祭りや産業祭りでのパインやマンゴー販売は大人気です。

50周年から100年へ
 令和3 (2021) 年の西表島の世界自然遺産登録によって自然の繋がりは西表財団と知床財団によって一層深められています。
 斜里町の歴史や文化や自然は竹富町とは異なりますが、違いを知ることによって新たな発見が始まるはずです。博物館 (交流記念館) がそのお手伝いをできればと思っています。

タンネウシ3月号表面

タンネウシ3月号裏面


 

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