旧役場庁舎と行政機能の変遷〜タンネウシコラム8月号

阿部 公男

旧役場庁舎の外観(戦後頃)

 斜里町の旧役場庁舎と聞いてわかる方はどのくらいおられるでしょうか。旧図書館と聞けば分かる方が増えるかと思います。旧役場庁舎は、明治維新後、シャリの地に行政区が整備されていく中で、昭和4年(1929)5月29日に現存する建物が竣工されました。町史には「新庁舎は総工費14,200円、鉄網コンクリート造りで49坪の事務室と50坪の会議室を持ち、付属建物を含め170坪で建設され、当時の職員数は、村長のほか、収入役1名、書記4名、書記補12名、臨時雇1名の18名」であったことが記されています。

行政区と役場の設置
 シャリの地が行政区として認められ、初めて役場の機能が設置されたのは明治12年(1879)に施行された郡区町村編成法により、シャリ村、シュマトカリ村、ヲネベツ村、ヤムベツ村、アヲシマイ村の5村の区域を“斜里郡”と定め、川端又三郎氏を初代戸長として、戸長役場が設置されました。一方、明治10(1877)年には既に船舶籍の登録などを行う浦役場が設置され、ここで斜里の戸籍登録が始まり、戸長役場の設置以前からシャリの行政事務が行われていたことがわかります。当時、行政事務を行う場所がどのように設置されていたかは不明ですが、明治10年の浦役場、明治13年の戸長役場、大正4(1915)年からの村役場、そして昭和14(1939)年からの町役場設置と移り変わり、まちづくりの拠点として旧役場庁舎が存在していたことが伺えます。

旧役場庁舎の変遷
 現存の建物は、昭和4年から昭和43(1968)年まで役場庁舎として利用されていました。役場機能が新庁舎に移転した後も、資料館や図書館として活用され、平成26(2014)年に図書館が移転した後は、昭和初期の代表的な建築様式を有することなどから、保存や活用の方法が検討されてきました。一方で、建設当初の設計図や設計者、施工業者のこと、建設工事のエピソードや竣工後の変遷などははっきりしていません。建物としての貴重さはもちろん、町の歴史上の出来事や様々な行政的な決断がなされた経緯など、当時のことで分からないこともたくさんあります。これらの点が少しでも多く解明され、建物と併せて、町の歴史的資料として保存されてほしいものです。

阿部

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